こんばんは,
発達がゆっくりな娘をもつ,ゆっくりっ子ママです。
2011年生まれの現在5歳の娘のこれまでの経過についてお話したいと思います。
パパの転勤により娘が生後3ヶ月で故郷から大阪へ引っ越して,3年間の大阪生活を送りました。
まず,娘の1歳半健診で指さしがなかったりと発達の遅れを指摘されたのが始まりです。
初めての子育てですし,健診で指摘されるまでは娘の発達のことをあまり気にしていませんでした。
娘が1歳10ヶ月の時に病気が発覚し,入院加療しました。
2歳になったばかりの頃も,持病のため入院し,その時に医師よりやはり発達の遅れを指摘されました。
医師:「耳が聞こえてないと感じたことはありませんか?」
私:「娘と関わって,名前を呼ぶと振り返りますし,聞えていないと感じたことはありません。でも,絶対に聞えているかと確信を持っているわけでもなく…。」
医師:「確認のために聴力検査を受けてみませんか?」
私:「分かりました。」
そんな医師とのやりとりがあり,入院中に眠剤を使って睡眠した状態で脳波を測定するという聴力検査を実施しました。
結果は,異常なしとのことで,ほっとしたのを覚えています。
それから,初めて入院した病院で簡単な発達検査を受けて,半年ほどの発達の遅れを指摘されました。
保健センターのほうでも発達相談を半年に1回ほど受けて,娘の成長や発達をフォローしているという状態でした。
指さしが1歳10ヶ月頃 ,ママなどの発語は2歳頃から,2語文も3歳頃からみられましたが,話すことができる単語の種類も少ないままでした。
子育て広場に行っても泣いてばかりで,ママである私のそばから離れないような娘…。
公園に行っても泣いてばかりで遊具で遊ぼうとせず,内遊びが好きな娘…。
初めての場所や人は,苦手な様子の娘…。
そんな娘が,1歳10ヶ月頃より1~2週間に1回の一時保育に通うようになり,毎回楽しく過ごしていたことを聞き,ゆっくりながらも娘の成長を感じていました。
そうこうしていると,3年間の大阪生活もピリオドが打たれ,故郷に帰ってきました。
写真はクレヨンでお絵かきしようといてしている3歳の娘です↓↓
故郷に帰ってから現在に至るまでの経緯は,次回お話しようと思います。
乞うご期待(^_-)-☆